南沙(スプラトリー)諸島の歴史(片倉佳史)

 

高雄(7) ―南沙(スプラトリー)諸島の歴史

台湾南部最大の都市である高雄市。その管轄地域は、海の先にも存在している。南沙(スプラトリー)諸島は東沙島、 西沙諸島、中沙諸島と並び、「アジアの火種」と言われている(英語ではそれぞれプラタス、パラセル、マクルスフィー ルド)。今回は知られざる南シナ海の歴史、南沙諸島と日本の関わりについて紹介してみたい。

https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2017/11/rekishi.pdf


アジアの火種となった旧日本領の島

南沙諸島(英名・スプラトリー諸島)は終戦まで新南群島と呼ばれていた。台湾の南端からさら に南へ約 1300 キロ進んだ先にある島々である。現在は海底油田の存在が確認されており、中国を はじめ、領有権を主張する複数の国家間の係争地域となっている。

ここも終戦までは日本の統治下にあり、高雄市が管轄していた。長島を中心に、北二子島、南二子島、西青島、三角島、中小島、亀甲島、南洋島、 北小島、 南小島、飛鳥島、西鳥島、丸 島などで構成されていた。

このうち、長島は群島内最大の面積を誇り、現在は太平島と呼ばれている。中華民国政府が実効統治している唯一の島で、警備隊が常駐している。 また、西鳥島は現在、ベトナムが実効統治している。ベトナム語では「チュオンサ」、中国語 表記は「南威島」となっているが、この島の英語名は「Spratly Island」で、「スプラトリー諸島」 の呼称はここから来ている。

※1 比較的大きな島は長島のほか、三角島、南二子 島、北二子島、西鳥島の五島。長島と三角島には 井戸があり、真水を得ることができた。三角島に ついては水を貯え、船に給水を施していたと・・・・以下続く。

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